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2007年 08月 27日
そんな理由で人を殺すか。
対象が祖父だろうが親だろうが子だろうが関係ない。 人が生きてるってのにはそれなりにエネルギーがある。 死ぬってのはそのエネルギーが尽きるってことと同意であって、 ここには質量保存の法則でも等価交換でもなんでもいいけど、 生のエネルギーをそこから奪うには同等のエネルギーが要る。 (って表現は 戯言シリーズ/西尾維新 にあったっけ?) このエネルギーってのはだいたい100年くらいかけて消耗する。 時間って言う力をもってしても100年かかるようなもんだ。 自殺できる人は強いという。 自分の持っている全てのエネルギーと等価の力をその一歩に注ぎ込めるから。 自殺しよう自殺しようと思いながらも、 実際その選択をできない人は山ほど居る事だろう。 (誘拐ラプソディー/荻原浩 はこの辺りの表現も秀逸。) それでも自殺者数は増えているらしい。 こうしてみると平成10年に急に増えて、一旦増えるとそのレベルは維持されるみたい。 無論このグラフだけを見た解釈だから、背景にはもっと色々と事情があるんだろうけど。 日本人という集団として、自殺とか言うものに消費するエネルギーがあるってこと。 そしてそのエネルギーをそこに使うことが当然だとばかり毎年ここに注ぎ込んでいる。 そんなもんにエネルギー使ってんじゃねーよと… 話がそれるのはいつものこと。 死に至らせるだけのエネルギー、人間1人と等価なエネルギー。 それを何でそんなもんに使うかねぇ…と不思議でたまらない。 だけれども人間は感情に生きる生物でもある。 脳の電気信号、化学物質に全てをかけ、文字通り全力で行動する。 殺してしまうといった行動を起こさせるだけの、 その行動を起こさせる感情を生むだけのものが、 「ゲームするなら学校を辞めさせる」って言葉かよ。 エネルギーでだけ解釈するとこうか。 祖父は叱ることで自身のもつエネルギーを孫に与え、 孫は聞くことでそのエネルギーを蓄積し続けていて、 その溜まった力が祖父のエネルギーと等しくなった、 だからその力でもって祖父の命を奪った。 …無茶な。
by irof
| 2007-08-27 11:25
| てけと
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