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2005年 06月 01日
今までしていなかったことを意識してするようにする。
はじめはなかなか出来ないものかもしれない。 うまくいかなくて当然、いきなりできることのほうが稀だと思う。 失敗を怖がり、何もしない。 確かにそれも一つの選択だろうが、 本当に何もしなくて良いならば考えもしないのではないだろうか。 何かをするということは、結果を出すということ。 なにもせず、何の結果も出さないということは、 その時点で失敗といえるかもしれない。 多少失敗したからといって、命に直結するようなことはそんなにない。 確かに車の運転で失敗すれば死んだりするだろが… 実際のところ失敗を怖れる場面というのはどういうときか考えてみれば、 本当に命にかかわるようなことは無いだろう。 例えば仕事上で失敗したからといって、 いきなり相手に殴られたり刺されたりはしないのではないか。 失敗が予想される場面を考える。 今までしていなかったことをする時。 過去に失敗した経験がある時、失敗談を聞いた時。 前者と後者には明確な違いがあり、性質がガラリと変わる。 前者では予想だにできない失敗が数多くあることが予想され、 その全く先が見えないという不明確さに怖れる。 後者では失敗がどういうものかを把握できており、 その失敗を犯したときの損害に怖れる。 後者の失敗は防げる失敗であるが、 自分が見えていないというだけで後者の中にも、 前者のような把握できない失敗は潜んでいるだろう。 でもそれは結局は前者の失敗で。 「失敗をするな。」 自分に言い聞かせてないか? その失敗が把握できているものならばそれは良いだろう。 だが、無知ゆえの曖昧な失敗ならば、しないのは不可能だろう。 どんなにやっても、規模の大小はあれども失敗はついて回る。 だからと言って「失敗しろ。」といっているわけではない。 結局、「失敗」という言葉に釣られているだけ。 上で挙げた2つの性質の失敗…後者を犯すのはまさに失敗だろう。 前者はどうか? 僕はこれに対しては失敗とは思わない。 だからこれを失敗とは呼びたくはない。 その言葉に釣られ、後者と混同してしまうから。 --------- この文で「失敗」という言葉を使ったのはわかりやすさのためです。 やたら繰り返されるこの言葉ですが、 失敗と呼べる失敗はほんの数回しか出ていません。 それ以外は失敗と呼べない失敗。 …さて、混乱する前にやめておこうか。
by irof
| 2005-06-01 08:12
| てけと
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