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2007年 11月 29日
言うまでも無く当然の事であっても、きちんと文字にして記述することは難しい。書き手が整理できずに文字を連ねると、どれだけその中に有用な情報が有ったとしても、読むに耐えない文章になってしまう。そのような文章はまず全体を眺めた上で読む気が削がれるし、読み始めて数行で挫折を促すだろう。まさにこの文章がその好例である。ゆえに人に読ませたいならば、句読点や文章の日本語的表現は勿論のこと、段落を変えたり、括弧を使ったり、強調表示を用いたり、図を交えたりの工夫を織り交ぜるべきである。然しながらそれらの読みやすくする為の表現であっても、乱用すると途端に読み難くなる。本来読み手へ向けるべきであるそれらの表現が、記述者の自己満足になる場合も多く見られ、本来とは別の目的で使用されてしまう例は挙げればきりが無く、結果的に読む気が失せてしまう原因となる。
ブロードバンドの普及(インターネット白書2007)により、敷居も低くなった昨今、Webにはブログが氾濫している。ブログはそもそもWebLog(ウェブログ)が語源であるように、Web上の様々な情報を残すメモ書きのようなものである。然しながらその手軽さがゆえ、機能拡張も容易であった為、このように個人の日記の様に用いられている。ブログはWebの情報に容易にアクセスするためにのメモ書きをWebサーバに格納することでWebをWebとして使うWebらしい(意味が曖昧なものを無理矢理使用するとこの様な状況に陥ることは多々ある)発想によるシステムである。その使い道ならば、ブログを不特定多数に公開する必要は無いわけだが、Webの概念としてテキストは相互参照されるものであることから、非公開の状態を基本とする事を提起者は除外したのかもしれない。本来の目的から外れるわけでもなく、拡張された解釈が生んだWebLogではないものがブログである。 ここでWebという呼称についての私的意見を述べる。私がWebと記述するものは基本的にはWWW(WorldWideWebの略称)で、直訳では世界に広がる蜘蛛の巣となる。蜘蛛の巣の糸に見立てられているものは、物質的な世界において目に見えるものではなく、実際には存在しない概念的なものになる。また、現実とはこの糸には粘着性はない点でも異なっている。私がWebと記述するのはWWWと呼ぶのが何となく嫌だからである。WWWをワールドワイドウェブと略さず読んでも10文字であり、ダブリューダブリューダブリューと略して読むと15文字に増加する。口語的な観点からみると、発音するにはワールドワイドウェブは気取っている感がするし、ダブリューダブリューダブリューは舌を噛みそうで発音したくも無い。ダブダブダブという呼び方もあるが、略称をさらに略するのは抵抗を覚える。一般的でない略称は、遭遇した際に対象を想像し難いものだ。 話は戻ってブログについて。ブログはもはやブログとしての存在であり、ブログ以外の何物でもない。しかしながらブログが情報過多の現在において、ブログの存在が害悪となっている事もまた事実である。その一例として、検索エンジンにおいて特定の文言を検索した際、その文言を含むブログが大量に検出されるにもかかわらず、大抵の場合において情報としての価値は低い上、何処にもリンクしていない。そのせいもあってか、Yahoo!の検索オプションやgooの検索オプションにはブログフィルタ(gooヘルプ)なんてものすらある。簡単に言ってしまえば検索結果からブログを除外する機能である。これらの検索エンジンはブログに情報的価値は無いと判断しているのだ。ブログが価値を持つために必要なことは難しいことじゃない。記事を書くのは今まで通りで良いが、その記事に情報源や参考へのリンクを含めれば、価値を持つことになる。Webに存在するんだから、たいした理由なく行き止まりになっちゃいけないと思う。とはいえ、この記事に何らかの価値があるかというと疑問ではあるのだが。 この記事を書いたあと、何気なく検索したら「ブログ限界論」で語られなかったこといろいろ(Gigazine)ってのを見つけた。ブログってモノについて興味を持ったなら読んでみるのもいいと思う。
by irof
| 2007-11-29 15:47
| IT・コンピュータ
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